2017年10月9日午後5時
この世のものと思えない美しい夕陽が大阪平野の向こうに沈んでいくのを玉祖神社に集まった300人以上の方々と一緒に見ました!
ハルカスをランドマークに「弱法師」の舞台の天王寺から高安への道を思い描きながら物語の世界に浸ることができました。
当日午後には「高安と能楽の関わりを探る講座」も開かれ、講座と薪能の様子がレポート記事として
能楽専門紙「能楽タイムズ」11月号に掲載されましたので、記事内容を転載させていただきます。
(レポーターは講座にご登壇いただいた橋場、今泉両先生)
橋場夕佳 / 能楽研究家
『高安薪能』及び『高安と能楽の関わりを探る講座』は「次世代へつなぐ高安能未来発信プロジェクト」の一環として催された(ともに十月九日)。講座(於・旧八尾市立中高安小学校)は二部構成。第一部の講話「八尾に埋もれた能楽曲」では、まず、本年二月に同地で復曲披露された能〈高安〉の一部を上映した。次いで、同曲についての評が各講師から述べられ、再演に向けての指針にもなった。講師は、西野春雄氏、金子直樹氏、今泉隆裕氏、橋場夕佳(筆者)。金子氏は能〈高安〉を「素直」「自%;な、想像と創造の余地がある曲と評価した。一方で、本曲クセで「高安の女」が語る「井筒の女」の心情をどう捉えるのか、業平との恋の思い出を象徴する笛の音の演出の是非などの課題も示された。今泉氏は「けこ」と「飯貝」を鍵に、高安の女にその家の主婦権を渡された女という側面を持つことについて、筆者は復曲に合わせて作られた間狂言が能の作品世界を支える可能性について述べた。西野氏からは〈高安〉の総評とともに、八尾に残る「手塚」にゆかりの能〈綱〉の復元創作という新たな計画が発表された。長唄〈綱館〉、歌舞伎〈兵四阿屋造〉の源流を遡ることで、散逸した能〈綱〉をよみがえらせるというものである。聴講者は150名。第二部は薪能会場である玉祖神社までの謡跡探訪。
同プロジェクトにとって〈高安〉復曲は大きな成果であるが、それをゴールとせず再演へ継続的に取り組み、能〈綱〉の復曲に向けても新たに動き出している。主催者である高安能未来継承事業推進協議会は、文化庁の「地域発・文化芸術創造発進イニシアチブ」(27年度からは「文化遺産を活かした地域活性化事業」)の採択を受けて今年で四年目、その前身である「高安ルーツの能実行委員会」の発足から十年目となる。この間、地域住民有志、能楽師、研究者の協力のもと、薪能の開催と並行して講座を開講することで、地域の文化資源としての能楽の魅力を発信してきた。
今泉隆裕 / 横浜桐蔭大学教授
講座につづき玉祖神社境内に於いて『高安薪能』が開催された。ワキ方高安流祖は当社社人を務めたとされる。演目の大半は当地ゆかりのもの。独吟〈高安〉原大、仕舞〈井筒〉塩谷恵、〈山姥〉梅若堯之、能〈弱法師〉シテ山中雅志/ワキ高安勝久/笛・貞光訓義/小鼓・清水晧祐/大鼓・高野彰/地頭・梅若堯之ほか(敬称略)。立見鑑賞自由で、用意した席数を上回る300人超の観衆。玉祖社は大阪市街を一望できる高台、当日は晴天、金子直樹氏が〈弱法師〉解説中、西に日が傾きはじめ、その光景を前に日想観の説明で俊徳丸が心眼にみた夕陽そのものと加えた。〈弱法師〉は、シテを勤める山中氏が平成二十五年玉祖社に奉納した面(作藤本重広)で演じられた。能舞台のない玉祖社での演能は毎年拝殿一部を取り外して実施される。演者は目付側の柱を石の鳥居に見立てるなど工夫を凝らす。ワキは現高安流宗家・高安勝久氏で、ゆかりの流派の演技に御当地演目を配した薪能は八尾高安の人々にとっては誇らしい催しだったにちがいない。